何者になれないという幸せ〜輪るピングドラム

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」
このセリフきっと二十代半ばのころに聞いたらものすげーダメージくらっていただろうな。
ではなぜ今は平気なのか。

十代のころ俺は「絶対何者かになる」と確信していた。
二十歳あたりのころの俺は「まだまだ時間はあるさ」と余裕こいていた。
そして、大学で才能あふれる仲間に恵まれ自分の才能のなさに打ちのめされていった。
ようやく自分が勘違いしていたことに気づいたのだ。

さらに、自分より才能ある連中がどんどん創作の道から挫折していった。
少年漫画の雑魚敵じゃあないが、俺が負けたあの連中が名を残していくならそれならそれでいいさと思っていたにもかかわらず。

そして、「きっと何者にもなれない」と確信してしまって、それを受け入れるまでかなりの時間を要した。
それで俺は考えた「そもそもなんで何者になろうと思ったのか」と。

それは幸せに生きるためだ。
もっと言うなら生き生きと生きるためだ。

では「何者にもなれなかった」ら「生き生きと生きられないのだろうか」。
もちろんそんなことはない。

僕は人との出会いに恵まれていたおかげでそんな生き生きと生きている人たちに出会うことができた。

だから今の俺はこう思う「きっと何者にもなれなくとも、生き生きとした人生を送りたい」と。
心のそこからそう思う。