ミッシェルから学ぶ、現代でありうるジェネラリスト〜ちょっと江戸まで

ちょっと江戸まで」四巻より。
『武術が得意な家臣はそれをやればよいし
学問が得意な家臣はそれをやればよい
わたしがすべてをやる必要はないよ
自分が「何でも知っている」と思ったら
人の話に耳を貸さなくなるからの』
まあ、ちょい江戸はとってもわかりやすい話なのでコレ以上付け加えるのは無粋なのだが、あえて付け足すとするなら「なら、これを受けて我々、あるいは我々が選ぶリーダーは何をすべきだろうか」という視点だろうか。

昔大学生の頃だか、社会人一年生の頃だかに、読んだか、聴いたかした言葉に「スペシャリストよりもジェネラリストを目指しましょう」というのがあった。

でも、無理ですよ!そんなの!

微分積分できれば最先端数学をマスターしたことになる時代と今の時代では、よくも悪くも進歩しすぎた。今の世の中ルソーでもガリレオでもだれでもいいけどあのレベルで何でもできる人ってもういませんよ。いたら嘘ですよ。

じゃあ、我々はジェネラリストになることはできないのか?
で、そこでヒントになるのがミッシェルの言葉だと思うのですよ。

この言葉を吐けるにはそもそも学問ができる/できないを見分けることができる程度に学問ができている証拠なんですよね。わかりやすく例えると「和食・イタリア料理の善し悪しがわかる程度には舌が鍛えられてないといけない。で、善し悪しがわかるにはある程度自分で料理できないとわからない」ということだと思う。だから、ミッシェルはできるけどやらないというより善し悪しがわかる程度にはできるようになったから、次のジャンルに手を染める。ということなんだろう。

だから、ミッシェルの評価としては「この人やればできるのになぜやらないんだろう」ではなく「リーダーとして必要な分だけやり、そして様々な領域に精通している」というのが正しいはずなのだ。

だから、ミッシェルのリーダーシップの発揮の仕方って多分適材適所を上手くこなすことなんだと思う。その、適材適所がいかに難しいかをあの年代で知っているなんてどんだけすげーんだミッシェル・・・。

みたいなー。