先生!僕たち愚民はしょせん正義の味方にはなれても、正義そのものにはなれないんですか?〜24シーズン7

『24』シーズン7を観終わった。もう、疲れたよ。俺のライフはゼロだよ。
しかし、今回のテーマとはなんだったのかと考えているとわかんないんだよね。そんな考えてる余裕ないから。この作品。さらにシーズンごとに区切っても長いのでいろいろと複雑に入り組んでおり、またなんだかんだいってプロダクション制作のエンターテイメントなので、テーマ性を考えてみるのが正しいのかどうか。黄金期ハリウッド作品にテーマ性をもって鑑賞するのが無粋、というかなんというか。

ただ、今回はちょっとばかしわかりやすい。

と、いうのも、主人公ジャック・バウアーはこれまで法律を無視した捜査(尋問とか、尋問とか、尋問とか)が「テロリストに対抗するために仕方ないこと」もしくは権力者から「超法規的処置」を許可されてみすごされてきた。

でも、それってダメだよね?といきなり第一話で言われてしまう。
今更かよ!と思う反面重要だよねとも思うわけで。

ちょっと、話を戻すと、もうシーズン6が始まった時点でジャック・バウアーアメリカのために戦う理由がないんだよね。いや、ないどころかアメリカを救う度に大切なものを失ってきたわけで。でも、まあシーズン6はジャックの個人的な理由により、捜査に協力せざるを得ないのだけれど。

いやいやいや。やっぱりジャックがそこまで忠をつくす理由はやっぱりわからん。

で、シーズン7でようやく、ジャックの倫理観というかもっと踏み込んでしまえば正義観について本人の口から語られるわけだ(あの日本というちょっと変わった国の少年向けの話ですら、現代物でも超能力だのなんだので舞台装置をフィクションぽくみせかけて、なんとなく正義の話題をそらそうとしているのに、よりハードコアな実写ものでそれをやるのは無理筋もいいところなんだけど)。そして…その言葉に僕は胸を打たれてしまった…。
「バスに50人人質をとられていれば、俺は他のものが見えなくなる。なんとしても、どんなことをしても彼らを助ける。(中略)法は俺よりはるかに利口な人間がつくった。結局のところ、バスの50人より法律のほうが大事だ。法は順守しなければならない。それは正しい。頭では俺もよくわかっている。ただ、俺の気持ちがそれでは納得できないんだ…」

先生!僕たち愚民はしょせん正義の味方にはなれても、正義そのものにはなれないんですか?

マイケル・サンデル氏ですら「正義について考えよう」とは言うけど、正義そのものがこれだ、とは言わないわけで。もちろん、現実社会の正義とフィクションの正義は区別しなくちゃいけないんだけど。いや、だからせめてフィクションの中では正義を見てみたい。まあ、そのー正義と言い切っちゃうと、正義と正義の戦い、つまるところの「戦争」になってしまうので仕方ないのかもしれんが。だから「正義」ではなくあくまで「正義の味方」なんですよー、というのはそれこそ「頭では理解していても」「納得できない」わけで。じゃあ「デスノート使って世界をましにしよう」と言い切られてもそれはそれで受け入れがたいわけで。しょせん「正義」なんて人それぞれだからー、ってそんなのは現実社会で十分みているので。じゃあ「正義の味方」で満足してくださいってことなんだろーけどー。うーん。無限ループの袋小路ですな。

でも、やっぱりシーズン7のさっき引用した部分はよくぞ言ってくれた!観のほうが強いかな。失望よりも。

まあ、でもアレかな。どうせジャックはファイナルシーズンで死んじゃうんだろうけど、そのほうがかえって救いかも。ジャック、あんたは十分苦しんだ。楽になってください。しっかし銀英伝並みに登場人物が死んでくな…。あ、でもクロエとモリスだけは殺すなよ!絶対だからな。この約束まもんないと絶対許さないリスト入りさせちゃうからな!