日常は冒険に満ちている〜アニメ「日常」・よつばと

さて、日常・非日常と人は区別したがるけれどそれは一体何だろう?もっと言えばぼくが個人的に考えをまとめんとなあという気分が大きい。

アニメ「日常」のニコニココメントを見ると、よく「非日常じゃん」というつっこみをみる。
たしかに日常的にシャケがふってくることはありえないw。が、アニメ「日常」はやはり日常を描いたアニメなのだ。

よつばと」はよつば視点からみるとただの日常も冒険に満ちている作品である、という評をよく見かける。こども視点であること、よつばのキャラクター性が根拠にそう言われているのだろう。もちろん、その点で異論はまったくない。

そっから転じて我々の日常はどうだろうか。いきなり、私事の話になってしまうが、今年度から私の生活する環境が一変してしまった。ぼくにとってこの一ヶ月あまりの出来事はとても非日常的出来事だったのだけれど、言葉にすると生活環境が変わりましたの一言で済んでしまうw。

そう、日常・非日常と区別するから非日常は事件性に満ちていることと勘違いしてしまうが、実は個人にとって非日常とはとても些細なことと、とらえることも可能なのだ。普段しない遅刻をしてしまったとか、恋人に普段しない不機嫌な態度をとってしまったとか。

と、いうことを物語化しようとするととても難しい。「よつばと」の場合は上記の通りこどもだから大人からみた些細なことも事件性に満ちているという視点で日常が非日常にあふれているということを描き出した。では、高校を舞台にしたアニメ「日常」はどうだろうか。

ぼくが観ていて思ったことは、「シュール」とか「非日常じゃん」とコメントされる描写は、ふだんのそうした日常の些細だけど大切なことを描くためのツールなのではということだ。

つまり「らき☆すた」だったらオタクのあるあるネタだったし「けいおん」だったらHTTだったわけで、これらはツールがちがうだけで乱暴に言ってしまえばおなじものだということだ。

もちろん、いま東日本震災関連で起きていることは非日常にカテゴライズされるべきものだ。こうして、日常の些細な出来事が実は個人としてはとても重要という指摘も現在は比較的安全に過ごしている西日本にいるからこそ書けているのだろう。ただ、どうもぼくにとって空気系とは何かということはここ半年くらいずっと考えていることなのでエントリにさせてもらった。